『“救済的”真理』の伝達・証明


■一人ででも自覚・確信できる
『人生の救い(神、転生の存在)の科学的証明』



最初に

私は、ある一宗教(天理教)の信者ですが、ここで、その宗教自体の勧誘をするつもりは全くありません。

ここで伝えたいのは「宗教(教団)への勧誘」ではなく、
(特に、今どうすることも出来ないような絶望感や苦しみを持つ人に対して、即効性のある)
「知識としての真理(神、転生の存在)の伝達・証明」のみです。
(よって何の束縛・移動も費用も必要ありません。ただHPを読んで、知って頂くだけです。)

また、この「真理の知識」は全ての人間にとっても「人生」や「人生の結果(将来・来世)」に本当に大きく影響してくる、
「一番大事な知識」、また「一番プラスになる知識」でもあると思います。

しかも世の中には(死をはじめ)、もし「宗教的救済」が無ければ「絶望的な状況」という事が数多く存在するのですが、
今や「(目に見えない)神の存在、宗教的救済」の根拠が明らか・科学的に証明されてきましたので、
その事実(真理)を伝える為に当HPを作成させて頂きました。



例えば、末期ガン等になった時に「ホスピス(終末期ケア)」というものがありますが、
おそらく大半は、そのような時に「宗教的救済」などの話を聞いても、
単なる「気休め、慰め」としか受け取られないケースが大半だと思います。

ですから、なるべく平常時から「真理(神、転生の存在)」を知っておくこと、
それも単なる「気休め」としてではなく、「確信(証拠)」を持って自覚しておいて頂く事が最も大事だと思います。


それも一日も早く自覚しておいて頂く方が、生きている間の人生も大変に有利・有意義になると思います。
逆に言えば、「真理」を知らずに生きているのは、それだけでも大変な損をしていることになると思います。


ある意味、「人生(生き方)・社会(世界)の根幹に関わる最も大事な問題」でもあるにも関わらず、
きちんと証拠を示して証明されている機会が、今の世の中には、ほとんど無いと思われますので、

その「確信を持って頂く為の証拠・証明」を、つたないと承知しつつ(なるべくシンプルな形で)当HPで試みていきたいと思います。

なるべく充分な必要事項は入れたつもりですが、じっくり読んで頂いても15〜20分ぐらいで読み終えて頂けると思いますし、
真剣に考慮・検証して頂けましたら、(御自身での体験も含めて)きっと「神や転生、救い」への確信を得て頂けると信じます。

また、単に暇つぶしに「こんな話もあるのか」程度に読みやすい所のみ、軽く読んで頂いても結構です。

※私自身も普段は普通に働いている一社会人であり、このような簡単なHPを作成し、
ただ置いておくことしか出来ませんし、どこまで自分の力が届くかは分かりませんが、
また今後も、もし必要がありましたら当HPをより良く更新していきたいと思います。

後半部分に述べていますが、かつて私が危機的な重病状態になった時に、
「今後は、より少しでも人の役に立つような行為をして生きますので、どうか今回の重病状態を助けて下さい」と神様に祈り、
実際に(絶対に有り得ないケース・形で)重病状態から救われましたので、
こうして自分自身が救われた体験」と「知る事実」をありのままに、
つたないHPを通してでも、一人でも多くの方々にお伝えすることが

私自身にとっての、その約束を果たす為の行為・使命でもあると思っています。

ちなみに私たち人間が(目に見えない)神様の存在に確信を持てる為には、いくつかの方法があると思いますが、
特に「(人間では絶対に不可能な)神様の言葉の的中」、
「(気の持ちようレベルの)プラシーボ効果レベルでは不可能な難病の治癒」、
「日常における不思議。特に、不思議なタイミングの一致・妙の体験」を通して、
もっとも分かりやすく神様の存在を知ることが出来ると思いますが、

当HPでは主に《1.神様の言葉の不思議な的中、2.その神が語られた「この世の真理」、3.自分自身の難病治癒の体験》を参考資料として、
「真理(神、転生の存在)」を伝えていきたいと思っています。


世の中には「医学や科学」があり、それらは大変に素晴らしく、重要なものですが、
残念ながら「医学や科学」だけでは解決できない問題も多いのは事実です。
「重い難病や死」「運命」というのは、その最たるものだと思います。

当HPを通して私が伝えたいのは、『人生には神様や転生があるので、たとえ今どんな境遇にあろうとも、
完全な絶望なんて絶対に有りません』という一点です。
もっと踏み込んで言えば、『それどころか、人間は皆、神様から深く愛されているので、誰でも心の自覚次第で必ず希望と喜びの人生が有る』ということです。

ただ、内容が「宗教」というものに関するものなので、多くの人達から批判や嘲笑なども受けるかもしれませんが、
どうか、その中で一人でも(特定の天理教という教団とか関係なく)「救いの真理」が伝わり、
人生を本当の意味で有意義かつ長期的幸福に生きて頂くことが出来るようになって頂ければ私の本望です。

素晴らしい「医学や科学」も決して否定するのではなく、しっかりと肯定・尊重した上で、
「このような話」もあるという形で、理性的に読んで頂けましたら幸いです。
(今回、「神の存在・働き」を明確に証明してくれたのは、精密かつ進歩した「科学や医学」でもあります。)



では、まず最初に、「真理神、転生、因果応報の存在)」を知っておくことの大きなメリット(有利性)、知らないことの大きなデメリット(不利性)を説明します。

神、転生、因果応報の存在を知れば、目先の困難や難病によって人生に絶望や諦めることが無く、
どんな中でも人生・将来に永続的な希望が持てるようになる。
また「来世・末代に渡る幸福が保証される生き方」を自覚でき、人生に安心感・充実感を持ちやすくなる。

神、転生、因果応報の存在を知らなければ、目先の困難や難病によって人生に絶望や諦めてしまうことが多く、
その時点で人生が大変に勿体無く、無駄になりかねない。
また逆に順境の時には、神様が「大道には(油断をして)ケガをしやすい」と言われる通り、
慢心して過ち(悪因縁積み)をおかしやすい。

そして(真理を知らなければ)今どんなに恵まれている人間でも、
「死後や来世以降の保証」は得られず、常に「死」とは不安なものである。


(後ほど「存在の証拠」を示す)神様は「人間の魂は永久に不滅で、末代の生まれ変わりがある」と教えられました。
つまり人間には「永遠の生まれ変わり」が与えられているので、あまり「年齢や寿命」は重要ではなく、
重要なのは「今、今日という日々を、なるべく大事に生きる事」なのです。


広い世界中の現実を冷静に見渡してみた場合、人生、どれほど「努力こそが大事」だとは言っても、
人生の大半部分は「生まれた時の条件や、不可解な運」に左右されている部分が大きいと思います。
でも「真理」を知る事で、この部分の改善方向を知る事が出来るのです。



今のように科学が発達した現代では(特に日本においては)「神や生まれ変わり」と聞けば、
「そんなもの有るはずがない」、
そんなものは「非科学的。昔の迷信」とバカにする人が大半だと思います。

実際、人並みに科学などを学んだ私自身も、以前は「神や宗教」などと聞くとバカらしいと思い、
バカらしいどころか「詐欺」のようで、すごく不快感と反感をもっていたわけですから当然のことです。

ところが、この世には本当に「神」が存在していました。

以前は「こんな矛盾や問題・苦しみだらけに思える世界に、神なんて絶対に有るわけがない」と強く思っていたので、
私自身、最初は相当に驚き、また疑いましたが、やはり厳として「神様」は存在していました。


しかも、その「神様」というのは、どこか特定の宗教だけの神ではなくて、
いわゆる、古来の日本でもなじみのある「おてんと様が見ている」の「おてんと様」に等しい神様です。
そしてキリスト教では「父なる神」、そしてイスラム教では「アラーの神」といわれる神様です。
つまりイメージして頂くのは、古来から人類に本当に親しみのある、共通の「唯一なる神様」のことです。

実は、世の多くの宗教は、呼び名は違えど「同じ一つの神(いわゆる創造主)」を信仰していることが多いのが現実だと思います。
事実、天理教の神(親神様)は「人類の心的成長に合わせ、過去に段階的に世界の様々な場所で存在を説き明かしてきた」と言われています。
それらの教えは、本質的に「この世には因果応報の法則や、今世だけではなく次の世(あの世や来世)があるので、
なるべく善行を勧め、悪行を慎むこと」を説いている点で共通していると思います。
ですから、本当は同じ「一つの神様」を拝んでいる事が多いのに、その解釈の違いから宗教戦争などをしているのは、
同じ親を持つ子供同士が争っているのと同じ事で、大変に悲しく残念な状況とも言えるでしょう。

よく昔は「おてんと様が見ている」という言葉があり、自ずと悪い行為などは慎むような風潮もあったのかもしれませんが、
今は科学が進んで、そのような事を信じている人は大半いないでしょうし、
また学校などでも、そのような宗教的知識の教育はほとんど出来ないような時代でしょうから、
本当に今は「精神面での拠り所や規範」が失われていて、
各個人の人生においても、世界全体においても不安定・危機の時代だと思います。
(そのような危機感こそが、神様が天理教を創始され、その真理を広めるよう意図された由来でもありますが。)



また人生について、分かりやすい例えをしますと、
人間は基本的に感情の生き物ですから、「快や得」の得られやすい言動をしやすいと思います。
人間は誰しも幸せになりたいと生きているのは同じですし、当然のことです。
もちろん私自身も、そういう人間です。

ですから、もし世に「神や転生、因果応報」が無く、ただ一度きりの人生ならば、一般的に「利己的」に生きるのが最も得に思える生き方かもしれません。

ところが、もし世に「神や転生、因果応報」が有る場合、今世というのは今後も何百回・何千回とある転生のうちの1回に過ぎず、
今世での生き方が神様・因果法則によって判断され、来世以降の運命に大きく影響するので、なるべく「誠実・利他的」に生きるのが得な生き方となるのです。

つまり同じ幸福を求めつつも、それを得る為の生き方が正反対になってしまうわけです。


ですから「この世の本当の仕組み(真理)」を知っておくことが大変に重要になってくるわけです。

ここでの判断を間違うと、せっかく幸せになりたいと必死に努力して生きたとしても、全く報われないどころか、
逆に将来(来世以降)への「不幸への種」を蒔いてるだけにもなりかねないので、本当に大きな分岐点なのです。

もし「神や転生」が存在することさえ知っていれば、誰でも、もっと心に余裕を持ち、
焦らず、絶望せず、前向きに、そして一日一日を大事に感謝と満足しつつ生きていけると思います。

実際、世の中の不幸や犯罪の多くは、この「真理に対する無知」によるものだと思います。



人生の現実は「今世」だけよりも「来世以降」の方が何十倍・何百倍も長いのです。
そして、もし仮に、今世一代は何らかの事情や逆境が理由で、思い通りにならない事、ならなかった事があったとしても、
長い生まれ変わりの生においては、一日だけ風邪をひいて寝込んでいるようなものに過ぎないような感じだと思います。
全く絶望する必要はありません。

その(今・今世だけではなく)「来世以降も長く継続・保証される生き方」を教えてくれるのは、
この「(実在する神による)真理」であり、これを知っておくことはどんな財産よりも大きな「真・最大の財産」だと思います。

よく宗教では「御利益」という言葉を使いますが、この世で「神様、転生(永遠の命)の存在の自覚」ほど「大きな御利益」はないと思います。


これ以後、「神様の存在する証拠」(不思議)を述べていきますが、
「神様の不思議」は、あくまで「神様の存在を確信する為」に必要なものであり、
実生活において重要なのは「正しい人生観のイメージ」だと思いますので、
先に長らく「真理を知る必要性。正しい人生観のイメージ」について述べさせて頂きました。



◆【参考1】 
本物の神にしか不可能な的中話


では、今回の救済話の最も大事な説得力の元となる『神の存在の証拠』を述べてみたいと思います。

ここでは、誰が考えても不思議(つまり神の技)としか考えられない証拠を「現存する文書」によって示したいと思います。

天理教の神(万物の親なる神様。親神様)とは、
「宇宙を造った唯一の神(創造主)」であり「全生物の命(転生)をも司る神」であり、
その神が約200年前に天理教教祖の身体に降りられ、約50年の間、天啓を述べられたわけですが、
その時に、疑い深い人間に対し「実際に世界や人間を創造した神である証拠として(人間には絶対に不可能な)不思議を示す」と言われました。

その中の決定的な一つが、「(当時の)人間には絶対に分からない事を、前もって知らす形」として、
天理教の親神様が約150年前に言い残された「(人間世界)元始まりの話」という「この世界創造の時の話」です。

*では少し原文から抜粋してみます。


■天理教 『元初まりの話』

この世の元初りは、どろ海であった。月日親神(親神様)は、この混沌たる様を味気なく思召し、人間を造り、その「陽気ぐらし」をするのを見て、ともに楽しもうと思いつかれた。
そこで、どろ海中を見澄まされると、沢山の「ドジョウ」※の中に、「うを」※と「み」※とが混じっている。「夫婦の雛型(ひながた)」にしようと、先ずこれ(「うを」と「み」)を引き寄せ、その「一すじ心」なるを見澄ました上、「最初に産みおろす子数の年限」(九億九万九千九百九十九年)が経ったなら、宿し込みの因縁ある元の屋敷(現在、天理市にある神殿)に連れ帰り、神として拝をさせようと約束し、承知をさせて貰い受けられた。

【中略】

 この間、九億九万年は水中の住居、六千年は智慧の仕込み、三千九百九十九年は文字の仕込みと仰せられる。


※ここで語られている「ドジョウ」、「うを(魚のようなもの)」、「み(蛇のようなもの)」等というのは、当時の人間にとって物語をイメージしやすいように比喩(たとえ)をもって語られているものです。

                      《天理教教典より》


以上の話の意味は、
『もともと今の世界・人間というのは決して偶然に出来たものではなく、
最初は単純な分裂を繰り返すしかなかった単純生物に、9億年前から神が様々な働き・機能を与え、
最終的には知恵や文字の仕込みまでを与えて、今の人間の進化までを見守り、導いてきた』という神様からの御話です。

そして、この『
9億年前の約束』により天理教を創始された神様の最も大事な御言葉に、
『この世の地と天とをかたどりて、夫婦をこしらえきたるでな。これは、この世の始め出し』とありますように、
「今の人間までの生物の進化」の一番大事な起点・ポイントとして、
9億年前に、はじめて生物にオスとメスの違いを与え、生物に夫婦(有性生殖)というものを造った
という話を書物として明記されました。《明治14年(西暦1881年)の書物に現存》、参照書物『こふきの研究』

ただし当然のことながら、約150年前の明治時代の日本においては、このような話(進化論)などは全く知られていず、
当時の人達には全く理解ができなかったわけです。
ましてや「9億年前」などという具体的で細かな年代までは、ごく最近の科学がなければ計測・特定が不可能な事柄です。


そして約150年の歳月が流れ、ごく最近の科学の進歩による検証によって分かってきたのは、
『この地球上において、はじめて生物にオス・メスが発生し、単純分裂生物から(夫婦による)有性生殖というものが始まった』のは、
なんと『ちょうど9億年前』だったことが分かってきたのです。

【参照】  ※以下のHPは天理教に全く関係ない方々の科学的なHPです。

『地球と生命の誕生と進化』

http://nihon.matsu.net/seimei/09.kanburia.html

『種(ヒト・ホモサピエンス)の誕生まで』
http://seneca21st.eco.coocan.jp/working/teramoto/03.html

『生命の旅 多細胞生物の出現』
http://tiotrinitatis.com/hunter/multicellular_feb16



これは実際に宇宙や生命を創造・守護してきた存在(神・創造主)にしか絶対に当てることが出来ない的中話(不思議)です。
また、そもそも、このような「生物の進化の最大の起点」について語られた事自体も不思議な事だと思います。

この「神様の話の的中」の不思議と奇跡性は、科学を深く学んだ人間であればあるほど理解ができることだと思います。
まさに人間の知恵や力を超えた(本当に神でなければ為し得ない)『神技、不思議な的中』と言えるでしょう。

※他にも、真剣に神様を意識して生きていますと日常的に様々な不思議(特にタイミングの妙)を見せて頂くことも多いのですが、
例えば、少し大きめの社会的出来事では、ちょうど天理教の教祖100年祭の年(昭和61年)に、
夏の高校野球にて天理高校が見事に初優勝(無敗で約4000校の頂点)を飾ったことなども、
(もちろん選手達の能力や努力があったのは事実ですが、)
あの時期・タイミングで初優勝できたのは、出来すぎた(人間の計らいを越えた)不思議の一つだったと私は感じました。



【参考2】  
【天理教の教え】〓
《天の理
(ことわり、ルール)の教え、天然自然の教え》

そして、上記の「本当に神業としか考えられない的中話を教えられた神」が明かされた教え(この世の真理)が「下の一文」です。



■『天理教の教え』【この世の真理】    

世界中の人間は、我が身思案に頼って、心の闇路にさまようている。
それは、元なる親(親神)を知らず、その心に触れぬからである。

親神を天理王命(てんりおうのみこと)とたたえて祈念し奉る。
紋型ないところから、人間世界を造り、永遠に変わることなく、万物に生命を授け、
その時と所とを与えられる元(創造)の神・実(真実)の神にています。

この世は、親神の身体であって、世界は、その隅々にいたるまで、親神の恵みに満ちている。
即ち、有りとあらゆるものの生命の源であり、一切現象の元である。
実に、この世は、理ぜめの世界であって、一分のすきもなく、いささかの遺漏もない。

しかも、親神は、どこまでも、一れつ子供を愛撫される親にています。
人間には、陽気ぐらしをさせたいという親神の思いが込められている。
これが、人間の元の因縁である。

善き事をすれば善き理が添うて現れ、悪しき事をすれば悪しき理が添うて現れる。
およそ、いかなる種子も、まいてすぐ芽生えるものではない。
前生因縁は、先ず自分の過去を眺め、更には先祖を振り返り、心にあたるところを尋ねていくならば、
自分の因縁を悟ることが出来る。これが因縁の自覚である。

親神が、色々と因縁を見せられるのは、それによって人々の心を入れ替えさせ、
あるいは勇ませて、陽気ぐらしをさせたい、との篤い親心からであって、
好ましからぬ因縁を見せられる場合でさえ、決して苦しめよう困らせようとの思召しからではない。


親神の胸に抱かれ、ひたむきに信仰に進む者は、我が身にふりかかるいかなる悩みや苦しみにも、溺れてしまうことなく、
むしろ素直に成って来る理を見つめて通るから、悩みや苦しみも、かえって喜びに転じてくる。
かくて、真に足納(納得・感謝)の心が治まれば、前生の(悪)因縁は納消される。

ひたすら、世の人の上に親神の守護を願いつつ、我が身を忘れて行ううちに、
親神に守られ、その胸に抱かれて、自身もいつしか心は成人して、明るく陽気に救われて行く。

                      
《天理教教典より》

上記は少し堅い文章かもしれませんが、
大事なポイントを肝要にまとめますと、


●この世界には(目には見えませんが)「一人の神様(親神様、創造主)」がおられて、
今の「人間・世界の存在」は決して偶然・当たり前ではなく、「神様の深い計らい・御守護」が有ってこそのものであり、
また、実は「我々の所有物は、それぞれの心(魂・自由意志)のみ」で、
それ以外の「身体や環境(生まれてくる時代・所)」は全て、神様の配剤で一時的に貸し与えられているに過ぎない、ということ。

●また、この世界には「生まれ変わり(転生)」というものが確実に存在し、
人間は誰でも「永遠の命」を神様から与えられており、
しかも神は単に生を与えられているだけではなく「世界人類の共生的な幸福を願われている」ということ。

●そして、どんな苦しみ(事情、病気など)があったとしても、
それらは全て(偶然や罰ではなく、必然・善意的な)神様からの「より良き幸福・生き方への導きや警鐘」ということ。
病気というものも決して悪しきものではなく「神様の働きや導き」を知らせる為の「神様からのメッセージ」に過ぎないということ。
(我々人間は順境よりも逆境あればこそ多くのものを学べ成長できたり、逆境あればこそ気付けるものも多いものです。
特に一番大事・価値ある「神様の存在や真理」について知ることが出来るのは、たいてい重い逆境の時が多いと思います。)

●そして、「神や転生」の存在と同時に、いわゆる「因果応報の法則」というものも存在していて、
私たちが社会・他人に対して為した行為は善悪ともに、将来や来世に必ず自分自身に返って来ることになるということ。
つまり自分自身の運命を良くしたければ、まずは社会・他人への言動を善なるものに変えていくしかないということ。


以上の真理を知るだけなのです。
特に紫色の部分は、そこに世界・人生の全てが集約されていると言えるほど、考えれば考えるほど深い真理だと思います。

また神様は「神様の愛と(因果応報の)法則は、世界中どこでも、そして誰にでも公平に働いている」と言われているので、
こうして「知識として真理を知って頂く」だけでも充分に大きな意味があるのです。



つまり、一見は問題や課題だらけに思える今の世界でも「愛のみの神様が陽気ぐらし(幸福)に生きられるように造り、見守って下されている世界」だということです。
逆に言えば、それほど(真理を知らずに生きている)我々人間の迷いや業(ごう)というものは深いということにもなると思います。
ある意味、「知らないのだから」仕方がないとも言えるのかもしれませんが、
たとえ知らなくても「因果応報の法則」によって「我々の将来・来世の運命」は決められていくので、
「真理を知らないこと」は本当に不利で損なことだと思います。


人生において本当に怖い事、不幸な事とは「死」ではなく、
「この世には(すぐには現れませんが)因果応報や、因果応報にもとづいた来世(以降)が有ることを知らない事」だと思います。


また「個人的因縁」だけでなく、「人類全体の因縁」として、地球の今の深刻な環境破壊問題なども、
我々の子孫はもちろん、将来(来世以降)の我々自身が直面する問題だとして考えなければならないということです。


神様は「神様の一方的な働きや強制」ではなく、あくまで「我々人間の自由意思・自主性」による平和世界、
また、単なる「楽々な生活」というよりも「心や生き方が救われる事」を望まれているので、
そこに、この世界の奥深さがあると思います。

※以上の話は決して単なる「慰め、気休め」では無く、
この日本のわずか200年弱において、(仏教系を除いて)日本最大の信徒数(約200万人)を有する、
そして日本で唯一の宗教都市(天理市)まで形成した「宗教(神様)の教え」(真理)なのです。
決して「信徒の数」が「宗教の価値」を決めるわけではありませんが、近代における短期間で数百万人もの信徒が出来たのには、
それなりの理由と根拠(証拠)があってこそのことです。



【参考3】  私自身の難病治癒の体験

では、ここで私自身の最近の体験を話します。

神様の存在を知る為の最も大きな働きの一つとして「(医学的常識やプラシーボでは有り得ない)難病の治癒」があります。
まだ「(先に述べました)ごく最近に分かってきた神様の的中話」が分からない時代に多くの天理教信徒が出来たのは、
「(医学から完全に見放されるような)難病の治癒・改善」を見せられてが多かったのです。
我々人間が(目に見えない)神様の存在を確信するには、それに足るだけの大きな不思議(証拠)を見なければ困難なのは事実です。

そして天理教の神様の教えには、
「人間の身体は神様からの借り物(心・魂だけが自分の物)で、
病気というのは実は病気ではなく、神様からのお知らせ・手引き」であると有ります。
また自分の心の癖や性分を自覚する為に「すっきり完治するよりは少しは病気が残っている方が良いこともある」という御言葉もあります。


これまで私自身は20年以上も信仰をしてきたのですが、
最近(40歳過ぎぐらい)までは健康そのもので病気らしい病気をしたことが無かったので、
この病気治癒の教えに関しての自分自身の実感は全く有りませんでした。

ところが最近(平成27年)夏の健康診断で尿に異常が発見され、その結果、秋頃に「iga腎症」という病名が確定しました。
「iga腎症」というのは慢性腎炎の一種で、日本では難病指定されている難病でもあります。
ちなみに慢性腎炎において、腎臓機能というものは一度悪くなると基本的に良くなることは無く、
今の医学では現状維持が精一杯で、治療も現状維持を目的としてなされ、
通常は年月が経つにつれて、少しずつ腎不全(透析)に近づいていくのみです。
何か急な発熱や脱水症状などが理由での、ごく短期間の急性腎不全なら回復も期待できますが、
長い期間にわたる慢性的な腎炎では現状維持が精一杯というのが今の医学での現実です。

その腎臓機能を示す検査値となるのが「クレアチニン値」というもので健常時には男性の場合、0.6〜1.1の値で、
もし1.0が2.0に上がれば腎機能が(1.0の)半分に落ちたという感じで、
さらに2.0が4.0に上がれば更に半分の機能(1.0の4分の1)に落ちたという感じで、透析が間近になってきます。
食事療法などで0.2とか0.3ぐらいの値の変動・改善はあるようですが、
一度悪くなってしまうと基本的に今の医学では現状維持が精一杯で、基本的に良い方に元に戻ることはありません。

そして私は、平成26年の夏の健康診断ではクレアチニン値が0.72だったのが、平成27年の夏には0.86まで上がってきて、
おそらく平成26年頃から密かに慢性腎炎「iga腎症」の影響が出てきていたのだと思いますが、
平成27年11月末にはクレアチニン値が1.3、12月末には2.3と一気に悪化してきまして、
信仰はしていますものの本当に驚き焦りまして、
すぐ明けた年(平成28年)の1月から、少しでも腎機能を現状維持する目的の治療の為、入院することになりました。
そして当面の治療は3週間で終わる予定で、あとは退院して(現状維持していけるかの)経過観察をすることになりました。
その3週間の入院中は、もはや慢性の腎炎の為、ただ点滴と投薬をしてもらい、現状維持を願うだけで、特に変わった事は起こりませんでした。
ところが退院日の2日前に行われた最終検査日に大変なことが起こりました。

それは、その日の午前7時から次の日の午前7時までの計24時間の尿を溜めての尿検査と、その直後の血液検査が行われたのですが、
その検査日の朝から急に何故か、尿が全くといっていいほど出なくなってしまったのです。
普段は1日に5、6回ぐらいは、我慢しろと言われても絶対に我慢できないぐらい尿が出ているのですが、
その最終検査日に限って丸24時間に渡り、どんなに頑張っても尿が出なくなってしまったのです。
しかも身体的には発熱・悪寒や脱水症状なども全く無い、本当に無症状な状態でです。
こんな事は、40年以上生きてきて、本当に後にも先にも、この検査日の一日だけのことでした。
誰でもお分かり頂けると思いますが、こんな尿の我慢は意図的にしようとしても、絶対に我慢できません。
丸一日、どれほど頑張っても尿はほとんど出ず、結局、せいぜい約100mlもあるか分からないぐらいの量しか出ませんでした。

その日以前まで病院でも毎日1L以上は充分に水分は摂っていて、普通に尿も1L以上は出ている感じでしたが、
最終検査日に限って尿による老廃物が体外に全く出せなかった為、次の朝、血液に老廃物が溜まったままでの血液検査となり、
その検査結果が、なんとクレアチニン値が4.18という非常に悪い結果になって出てきてしまいました。
医師にも大変に驚かれ、この値では(末期腎不全レベルの為)、
もう退院どころか、近いうちに透析導入も考えなければならないと言われてしまいました。
特に、他に何の症状(発熱や脱水症状など)も全く無いのに、急激に腎機能が悪化したので、
余計に事態や絶望感は深刻でした。

(そもそも無理ですが)たとえ無理やり排尿を我慢して止めた場合でも、体内の老廃物は腎臓を通り、膀胱内に溜まりますので、
血液検査の結果は悪くなりません。
つまり検査日の一日に限り、腎臓自体の働きが停止してしまったということです。
こんな操作は人間が意図的にするのは絶対に不可能です。

「こんな不思議な尿停止と、腎機能の悪化が起こるなんて、これも神様の思し召しなのかな?」と、
その時は呆然と落胆するしかなかったのですが、
このままでは今まで通りの仕事や生活もすることが出来なくなる可能性がある為、
必死に神様に「自分自身の心遣いの改善の誓いと、腎機能の回復」をお祈りすることにしました。

でも基本的に慢性腎炎では一旦悪くなると、もう良い方に腎機能(クレアチニン値)が回復することはない為、
今後どうすればいいのだろう、今後どうなるのだろうと、
とにかく何がなにやら気持ちの整理も付かないまま必死に神様にお祈りしました。
この時に、ただ呆然として病
室の窓から眺めていた真冬の晴天の雲の流れの景色は今も忘れません

ただ、尿検査が終わった日から、また不思議と尿が普通に出るようになり、
すぐさま1日1〜2Lぐらいの尿が出るようになりました。
そして、約5日後に再度なされた血液検査で、なんとクレアチニン値が4.18から1.78まで一気に回復し、
その後も1.3、そして1.2台と、最悪時の検査後の約2週間で、むしろ入院した時よりも腎機能が少しずつ回復し、
その結果、退院も許されたのですが、
さらに、その約1ヶ月後には、クレアチニン値が0.94と、なんと男性の標準値内までも回復したのです。
さらに2ヶ月ほど後には0.91まで下がってきました。
(腎機能にして、最悪時の15%から72%という約5倍の回復になります。)

以上のことは、少しでも腎臓に詳しい方だと、長期にわたる慢性腎炎において、
このような半年ほどにわたる腎機能の回復(クレアチニン値4.18→0.91)が、
どれほど不思議、かつ絶対に有り得ない事かを理解して頂けると思いますが、
ごく最近の事なので、近畿にあるS県K総合病院において私の検査データが残っています。


私自身、本当に驚き、20年以上も信仰をしてきた身ながらも一時は神様を恨み、真剣に落胆しましたが、
「40数年間において一番に大事な入院最終検査日の24時間のみに限って、急に尿が全く出なくなった不思議」と
「一旦、透析寸前の末期腎不全(4.18)まで悪化してからの、通常の健常値内(0.6〜1.1)までの腎機能回復の不思議」という有り得ない大きな2つの不思議を自分自身に体験させて頂き、
本当に改めて「神様の存在と、不思議な働き」は有るのだという確固たる実感と、
今となってみれば神様が「心遣いの改善の促し」や「健康の有り難みを深く自覚する機会」を与えて下されたのだと思っています。


同時に、20代の頃から長年にわたり神様を信じていたにも関わらず、このような事態になった時の焦りと不安は大変なものでしたから、
(難病時などにおける)神様を知っておられない方の焦りや不安は、どれほど大きなものでしょうと想像せずにはいられません。

そして人間的に不完全で欠点だらけの私でさえ、このような不思議な働きを与えて頂けたのですから、
必ず他の方でも、それなりの神様の働き(証し)を見せて頂けるはずだと信じます。

また神様は「このような真理に関しての嘘をつけば、その人間の存在も嘘になる(おそらく死か、来世が悲惨)」と厳しく戒められていますので、
当HP上の書き込みにおいて一切の嘘は無く、全て事実だけを述べたものであることを、神様に命かけて誓います。
「教え」に関しましても、現役従事はしていませんが正式な天理教教師(教人、教会長)の資格は取得しています。

そして人間にとって、この「真理」(神様。いわゆる“おてんと様”の存在)を知っておくことほど「大きな財産」は無いのと同時に、
人に、この「真理」を伝えさせて頂くことほど「大きな、真底・根本からの人助け・救済」は無いだろうと思いますので、
もし、この「真理」に確信を得て頂きましたら、ぜひ人にも、この「救済的真理(神様と転生の存在)」を伝えてあげて下さい。
それだけでも人や社会は少しずつ確実に良くなっていくと思いますし、
また神様が最も望み、喜んで下される行為でもありますので、
(将来・来世以降の為の)本当に大きな「善行徳積み)」をされたことになると思います。
しかも全くの無費用・無償で出来る行為です。

実際、世界や人が「真底・根本から救われる」には、この「神様と転生の存在」を知ることしかなく、
そして、その為には、こうして「明確な証拠」を示して、(理性で納得して頂けるように)地道に伝えていくしかないと思っています。


【参考4】    「真理(神、転生、因果応報の存在)」の証拠として参考になる他HP

また私が上で紹介した事例以外にも、世には「真理(神、転生、因果応報の存在)」を示す事例もあると思います。

『前世の記憶を持つ3才の少年 殺された記憶から殺人犯を特定し話題に』
http://news.livedoor.com/lite/article_detail/10371390/



◆個人的感想

以前は完全な無神論者であった私ですが、(何度もの体験と証拠により)神様の存在を確信持ち知ってからは、
誰もが必ず、いずれ自身や家族などで直面することになる「死などの絶望」に対して、
そして「真の生き方、真理」を探し求める人にとっても、誰でも(無条件・即時に)たどりつけ、
(明確な証拠をもって)「神様と転生の存在」を知り、「解決・救われて頂ける場」が必ず一つは必要であり、
それこそが「宗教にしか出来ない一番大事な役割」だと思い、今回を機に当HPを作成させて頂きました。

なぜなら私自身、この「真理(救い)」にたどり着くまでの間、
人生において、本当に遠回りをしてしまったという実感と後悔があるからです。

また神様の言われる「陽気ぐらし」とは、「(常に神・転生を自覚し)どんな逆境においても絶望せず、そして逆に順境においても慢心せず」、
「人間の心の成長や、助け合いの為に、神様はわざわざ逆境も与えて下さる事もある」という事を自覚して初めて可能な事だと思います。
神様の御守護というと順境をイメージしますが、心の成長や、「普段の日常」に深く感謝できるようになる為には逆境こそ有効でもあります。
(当たり前のように思えて、決して当たり前ではないのが「普段の日常」だと思います。)
私自身、少し順境になると知らず知らずに心に油断が生まれ、良くない癖や性分に流されてしまいそうな事があるのですが、
その度に何らかの課題を神様から見せられ、その度に(不完全ながらも)心を改めつつ通っている日常です。


◆最後に

大事な事なので、もう一度、最後に繰り返しますが『人生には神様や転生があるので、たとえ今どんな境遇にあろうとも、
完全な絶望なんて絶対に有りません』。
『それどころか、人間は皆、神様から深く愛されているので、誰でも心の自覚次第で必ず希望と喜びの人生が有る』のです。
しかも誰でも、その「確信・証拠」を(真剣な心の自覚次第で)得る事が出来るのです。


また、わざわざ神様が人類の救済の為に残して下された「証し(証拠)」と「真理」は、
(決して世の無神論に閉ざされることなく、)確実に世界・後世に残し、伝えていかないといけないと思います。
当HPには、そのようなバトンの意味もあります。


そして本来なら、ずっと以前に人生に挫折や絶望感を持ち、自暴自棄の人生に陥っていたであろう私に、
多くの大きな不思議・御守護と、毎日の喜び・充実感を与えて下された神様、
そして、つたないHPにも関わらず最後まで読んで頂きました皆様に感謝のお礼を申し上げます。





 

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